Rioの記録

愛娘の成長記録(特別養子縁組)

天使ママの気持ち

※ 明るい話題ではありません

少し前に天使ママさんの想いを聞いて、私も辛かった事や救われた事を正直に書きたいと思います(長文です)

何時間眺めていても足りない可愛い子供を神様にお返しした時の事。

感情的になってしまうので、淡々と書きます(笑)


産まれてから毎日、吸引で辛そうな子供を見るのは想像よりも辛い。 でも辛いのは子供だと思うと辛いなんて口にしたらいけないと踏ん張る日々でした

病気が良くなったら 沢山喜ぶ事をしてあげたい!何でもしてあげたい。だから辛いこの日を乗り越えて欲しいと願う毎日

生後2日目に鎖肛の手術後の麦

生後0ヶ月でこの先助かる事は無いと申し訳なさそうに言われ 絶対助かると信じているパパと、期待を持ってはいけないと思う私。

だから話も想いも噛み合わない私とパパ

生後1ヶ月、2ヶ月、3ヶ月、そして4ヶ月になる夜に。

祈り

とにかく祈る事に力を注いだ。
面会時間の大半は側にいてずっと手を握り
涙が出ちゃいそうな時は外にでて
近くにある神社や、飛んでいる鳥、草木、病院内にあるスタバのロゴにまで…(ヤバイですね)祈りました

人はここまで祈れるのか!って位、祈りました

祈っている間は少し救われていた気がする


心理士さん

心理士さんが心配してくれて何度も来てくれるのだけど、それも辛かった。

少しやすんで息抜きをして…のような事を言われるのだけど貴重な子供との時間を削られたくないのが本音。

大切な子供が助からない可能性の方が高いのに息抜きできるはずがない。

善意の心理士さんに悪いのでそれを言えず、来る度に嫌な顔をしてた私。ごめんなさい


連絡

子供を心配して状況を頻繁に聞いてくるメール。 これ、かなりキツかった。

こちらから連絡するまでそっとして欲しいと言うのが本音。毎日はキツイ
心を許している友人にだけ連絡していました。


言われて辛かった事

赤ちゃんはお母さんの笑顔が好き。

これです。

言わんとする事はわかります。私も子供の側で泣いてはいけないと、直ぐ外に出るようにしていました。

明るい笑顔が出来ないんです。未熟な母でした。
頭では分かっているだけに辛かったです。


救われた言葉

自分の情けない母親っぷりが恥ずかしいとパパのお母様に言いました。

パパのお母様は

子供の事を思って、髪を振り乱し必死になっている母親は素敵だと思うわ。

こんなに愛されて麦ちゃんは幸せに決まってる

と、こんな言葉をくれたんです。

凄く救われました。頂いたこの言葉が今後全ての支えになりました。

こんな素敵なお母様に育てられたパパが素敵な人だということに納得です。(相変わらずの身内褒めすみません)


神様が迎えに来た時

サチュレーションが下がってなかなか戻らない。生きている最後に抱っこさせてくれようと先生が注射を打つも戻らず急いでパパが抱っこしました。
先生、ご配慮ありがとう。麦、今まで頑張ってくれてありがとう、と言う気持ちでした。

パパは激しく泣き崩れて、私は泣かなかった。

担当の看護師さんが当直でないのに飛んで来てくれて私の手を握ってくれていました。
この時から、人の優しさに涙がでるようになった私。

担当看護師さん、大好きです。ありがとう。

その後、初めての沐浴を大好きな看護師さんと笑顔で入れてあげました。

その部屋には担当医師2人と研修医、看護師さんと私達でいましたが研修医がポケットに手を入れて壁に寄りかかって面倒臭そうに見えました。

子供の初めての沐浴なので出て行って貰いたかったけれど、お世話になった病院、看護師さんの事を思うとぐっと堪えました。

帰りには冷凍した母乳が大きいゴミ袋分戻ってきました


さらに辛かった事

火葬です。子供の火葬は温度があまり上がっていない朝一番が良いそうです。
目に入れても痛くない可愛い子供が焼かれると思うと、やっと子供が亡くなった事に現実味がでて狂ったように泣き崩れました。
その時間になった時、待ってー!やめてー!と泣き叫んでパパに羽交締めで止められるという最大のみっともない姿に。

火葬の前日、ボロボロのまま花屋へ行き、置いてあるガーベラの花を全部買いしました。
花屋さんは少しビックリしてました。

隙間なくガーベラで可愛い麦を埋め尽くしました。

だからガーベラを見るとなんとも言えない気持ちになります


運命

いままでは自分の力でなんとかすれば良い、運命は自分で変えるものだ、なんて思っていたけれども どんなに祈っても願っても叶わない決められた運命があるんだという考えになり少し落ち着きました。
その後の私はなるべく運命に身を委ね流れに乗って行くようになりました。

悲しみは癒えたのかと訊かれれば少し癒えました。
でも数ヶ月生きて頑張った麦を激しく愛した気持ちは私が死ぬまで変わらないのは確かです。

Rioが産まれた日の麦。

麦の写真は2000枚越えでしたが見るのが辛く、ネットで他のダウン症を持つ親のブログや動画を今よりも見ていました。

主に親バカなブログが好きで、とても癒されていました。 その当時はアップ君が可愛くて、可愛くて、泣きながらYouTubeの動画を見ていたのが懐かしいです。

ブログで元気をもらった1人です(笑)

皆んな、想いや感じ方は違うかもしれないけれど、私はこんな風に感じていました。


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